第2話 独身時代の妻が一人で介護と闘ってきた過去

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介護の世界へ入っていくキッカケとなった要介護5の義母との出逢い。

実娘との結婚を機に少しずつ介護の世界に入っていった。

結婚生活と介護との両立。

どうなっていく?

目次

新居は介護施設の近くへ

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結婚を機に義母が入所している介護施設の近くに部屋を借りた。

それまでは2人とも東京に住んでおり、毎週末には千葉県にある介護施設まで義母に会いに通っていた。

妻は少しでも母の近くに居たいという気持ちが強く、毎日すぐにでも行ける距離にいた方が不安な気持ちが少しでも柔らぐと感じていた。

そんな妻を想い、施設から歩いて10分くらいの距離にある物件を借り結婚生活がスタート。

実際に近くに住んでみると面会に行くのもかなり負担が少なく、またすぐに施設へ駆けつけられるということが、以前東京に住んでいた頃よりもかなり安心感をもてるようになった。

しかしここに辿り着くまでには、妻が1人で闘ってきた過去がある。

初めての介護施設で急に『汚い言葉』を発した義母

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時は遡り、結婚する前の妻の独身時代。

義母が脳出血で倒れ大手術をし、病院でのリハビリ後に初めて介護施設へ入所した時の話。

その介護施設には、当時まだ独身だった妻が1人で面会に行っていた。

ある日のこと。

いつものように義母を車椅子に乗せ、介護施設の庭を2人で散歩していた。

天気のいい日は外の空気に触れながら、親子での会話を楽しむのが唯一の安らぎだった。

いろいろ会話をしている時に義母が急にこんなことを発した。


義母:○○ちゃん(妻)お尻が痛いのよね。

妻:そうだよね。ずっと車椅子座っているからじゃない?

義母:そっか。でもお尻が痛いんだよね。

妻:じゃあもう少ししたら戻ろっか。

義母:お尻が痛い。

妻:ずっと座っているとみんな痛くなるよ。

義母:ケツ、いてっ

妻:・・・


この時、妻は母の今まで発したことのない汚い言葉を初めて聞いてビックリしたらしい。

そんな言葉を使うような義母ではなかったからだ。

義母は脳出血で倒れたので、その日によって状態が変わる時がある。

その影響でそういう汚い言葉を発したと、この時は思ったようだ。

でも実際は、こんな理由があったのだ。

一番最初に入所した『信じられない介護施設』

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妻から聞いた話によると、義母が倒れ一番最初に入所したその介護施設はかなり酷い所だったようだ。

背中とお尻にはひどい床ずれをつくられた。

それが原因で、義母は汚い言葉を発したのだ。

そんな言葉を発するほど痛かったということだ。

寝たきりの人は、特に床ずれにならないように注意するのは介護の世界では基本中の基本。

体交といって、2時間おきなどに仰向けで寝た後は背中にクッションなどを挟み左向きに、また仰向け、今度は右向きといった感じで体勢を変えるのだがそれを怠っていたのだ。

20年経った今でもお尻にはくっきりと床ずれの痕が残っている。

床ずれ(褥瘡[じょくそう]とも呼ばれます)とは、圧迫によって皮膚に十分な血液が流れなくなることで、その部分に損傷が生じた状態です。 床ずれは、圧迫に加えて、皮膚を引っ張る力、摩擦、湿気などの要因が組み合わさって発生する場合が多く、特に骨のある部分の皮膚でその傾向が強くみられます。

MSDマニュアル家庭版より

怪しい行動の介護施設

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義母が始めて入所した介護施設は西東京の奥の奥の方にあり、面会に行くのに電車の乗り継ぎを重ね最寄りの駅まで行き、そこからまたバスで30分くらいかかる場所にあった。

毎週末都内の自宅からその介護施設まで通うのに片道2時間半かかった。

さすがに通うだけでクタクタになり、もう少し自宅から近い介護施設に替えようと思い始めた。

ある日その介護施設に、他に移りたいから出たいと申し出た時のこと。

とんでもないことがあった。

どの介護施設にも主治医がいるが、こんなことがあった。


主治医:お母さんはMRSAに感染しているから、ここの施設からは出られないよ。

MRSA感染症は、メチシリンなどのペニシリン剤やβ-ラクタム剤、アミノ配糖体剤、マクロライド剤などの多くの種類の薬に耐性を示すMRSAの感染によって引き起こされます。

MRSAが感染症を引き起こす程度は、通常の黄色ブドウ球菌と同等ですが、高齢者など抵抗力や体力が低下している人が感染して感染症を起こすと、多くの種類の抗菌薬が効かないため、治療が進まずに重症化するケースがあります。

健康長寿ネットより

義母が感染症にかかったというのだ。

だから他の施設には移れない、そんな説明をされた。

でも妻にはなんか腑に落ちない所があったようで、主治医に対して


「それでは診断書を出してくれ」


と頼んだら、あ~だこ~だと納得のされない説明をされて引き留められる。

そんな主治医に対して何度も何度も交渉を重ね、最終的にやっと


「誤診でした」


との回答。

嘘をつかれていたのだ。

妻の勘だが、その主治医とその介護施設はなんか怪しい雰囲気があると薄々感じていたようだ。

医者と施設が完全にグル。

ドラマに出てくるようなシーンだが、紛れもない現実の話。

20年前は酷い現実だらけの介護の世界

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当時はまだ介護保険制度が始まったばかりの2000年。

現在とは違い、介護施設はまだ入所者がほしいところばかり。

そんな時代で当時のその施設も義母を出したくなかったようだ。

介護状況もずさんなら施設と医者も最悪。

今のこの時代なら間違いなく大問題になっているだろう。

介護保険制度が始まった頃は、今では問題になるような施設がゴロゴロあったようだ。

これが当時の介護世界の現実。

その介護施設は、現在はないみたいだが何かあったのだろう。

そこにそのまま義母が入所し続けていたら、あっという間に・・・。

現在でもニュースなどに上がる介護に関する悪い話は氷山の一角で、現実の施設はとてもずさんな所が多い。

もちろん中にはいい施設もあると思う。

最近は介護が必要とされる人口が増えてきたのでメディアに上がりやすいという環境にはなったが、20年前の介護保険が始まったばかりの頃は「ひどい」の一言。

そんなとても衝撃的な辛い経験をしてきた独身時代の妻。

一人っ子で父親は小さい時に離婚し、母1人子1人の家庭で育ち二人三脚で歩んできた。

そんな妻の人生に急に母が倒れ、頼る人も全くいないなか若かった妻が母を守ってきた介護との葛藤。

だけど僕と出逢った頃でも、そんな泣き言はひとこともいわなかった。


「自分が何とかしなければ!」


という強い気持ちが感じられ、僕はそんな妻に魅力の1つを感じていたのかもしれない。

やっとの思いで何とかその介護施設から千葉県の1番長くお世話になった介護施設に移れることができた。

その時期くらいに僕と妻が出会い、僕と義母との初対面にこぎつけた。

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