母が旅立った直後1週間くらいは、何もやることが起きず毎日ぼーっと過ごしては寝るの毎日。
なんの気力も起きず、ただただ過ごしているだけでした。
それから徐々に戻ってきて17年の在宅介護が終わった今、日々の生活の中で
「本当に終わったんだなぁ~」
って実感することがあります。
そんなことを綴りたいと思います。
長い在宅介護が終わったその後
17年間の在宅介護生活が終わり早5ヶ月。
思い出すと、とても昔のような感じがします。
日数にすると、ついこの間のことなのに不思議な感じです。
介護ロスなんて言葉もありますが、正直17年も在宅介護をやっていると、介護ロスにならない方がおかしいぐらいです。
ずっと当たり前にやってきた生活が突然亡くなり、生活リズムが180度変わるぐらいのもの。
わが家には子供はいないですが、巣立った後のまたは娘が嫁いだ後にポッカリと穴が空いたような心境なのかもしれません。
でも子供は将来があるから希望を持てますが、介護は全くその逆。
日に日に弱っていく親を見て、将来は先に旅立つ寂しさが待っているのです。
そんな経験をして最初の1ヶ月ぐらいは何もやる気が起きませんでしたが、現在はだんだんと介護のない生活に慣れてきました。
17年の介護生活が本当に終わったと実感したこと
17年前というと僕はまだ30代。
今は50代になってしまいました。
そう考えると、「長い間介護生活をしてきたんだなぁ」としみじみ思います。
そんな長い在宅介護生活が終わったと実感したことはたくさんありますが、特に実感したことを上げてみたいと思います。
チャイムが鳴らなくなった
在宅介護をやっていた時は、毎日とにかく人の出入りが多く、常に入れ替わり立ち替わりといった状況でした。
だから玄関のチャイムがよくなっていました。
また介護で使うものなどもたくさん買っていたので、宅配のチャイムもよくなっていたんです。
それが今やほとんどならないわが家。
介護の時は1日に5~6回以上はなっていましたが、今は1回もならない日がほとんどです。
段ボールが少なくなった
介護で使うものは多数あったので、Amazonや楽天で色々と購入していました。
そのため届く量も半端なく、段ボールの量が半端なく多かったです。
どんなに少なくても1日2回は何かしら届くので、その空き段ボールの量が多く、1週間に1回の資源ごみの日には畳んだ段ボールを両手で持っていかいなと運べないほど。
オムツが入っている段ボールは、かなり大きいので畳むのも大変。
そんなに小さくならなく、ゴミ出しの日までの一時保管はかなり大変でした。
わが家ではこんなアイテムを使ってました。
畳んで挟んでおくだけなのでかなり便利です。
介護が終わってからの生活はほとんど宅配が届くことがなくなったので、週1の資源ごみの日には出すのがない週も。
段ボールの量は激減しました。
決まった時間になると、つい体が動きそうになる
在宅介護をやっていると、時間でやることがたくさんあり体に染みついていました。
・薬を作る時間
・薬を注入する時間
・栄養の注入時間
・水分補給の時間
・オムツ交換の時間
・体交の時間
など、全て時間通りのスケジュール。
毎日入れる日勤のヘルパーは見つからなかったで、夜中以外は我々夫婦がやっていて、完全にそれらの時間がくると勝手に動くほどに。
この時に染みついたリズムが、介護がなくなった今でもたまに
「あっ薬作らないと」
なんて一瞬動きそうになる時があります。
習慣はすごいですね。
「ぐるっ」って聞こえると腰が上がる
ぐるっていうのは痰が上がる音。
わが家の義母は、気管切開をしていたために喀痰吸引が必須。
痰が上がったらすぐに吸引する癖がついていました。
そのため現在も妻が喉でぐるっとした時や、電車の中で他の人から痰の絡む音が聞こえると、すぐに耳がピクッと反応します。
職業病みたいなものですね。
週2回の燃えるゴミの日の量で
わが家の義母はオムツだったので、燃えるゴミの量も半端なく多かったです。
住んでいる地域は、燃えるごみの回収日が週に2回。
1回に出る量は、45Lのゴミ袋がパンパンの状態でほぼ3袋。
多い時で4袋です。
1袋の重さもかなり重く、男の僕でも2袋ずつ両手で持っていくのは指がちぎれそうになるぐらいの量でした。
それが今では1回のごみ捨ては1袋のみ。
ごみ袋にまとめる作業もすぐに終わるし、ごみ出しも軽々に行けます。
最近は慣れましたが、旅立った直後は軽くなった作業に寂しさを感じていました。
使用済みのオムツの一時保管に困っている人は
介護をしていると、使用済みのオムツをごみ出しの日まで一時保管はどこにする?という問題があります。
わが家ではこんな感じでやっていました。
困っている方はご参考になるかと思います。
家が広く感じる
わが家は2階建ての一軒家なのですが、子供がいないので今は夫婦2人住まい。
そんなに大きな家ではないですが、とても広く感じました。
介護をやっている頃は1階は介護スペース、2階は我々夫婦のプライベートスペース的な感じで使っていましたが、今は全てが2人だけのスペース。
まして6畳半の義母が過ごした介護部屋は、介護ベッドが撤去された今、「こんなに広かったんだぁ」と思えるほどです。
制限がなくなり自由になったが
在宅介護をやっている頃は、かなり我々の行動も制限がありました。
・眠い時でも寝られない
・食事の時もゆっくり食べられない
・好きなこと(趣味や娯楽)をやれる時間がない
・出かけたい時に出かけられない
など、自由にやれることは全て制限がありました。
在宅介護の1番辛い部分でもあり、ストレスも半端なくかかります。
だからたまにぶっ通しでヘルパーが入れる時などは、思う存分外出を楽しんでいました。
介護が終わった今、なんでも自由にできる環境になりました。
しかしそうなってびっくりしたのが、あまり出かけこと。
たまにふらっと出かけたりすることはありますが、ほとんど家で過ごす日々。
いつでも出かけられるという安心感が、逆に「出かけたい」という気持ちに直結しないようです。
ただ
- 寝たい時に寝れる
- 好きなだけ寝れる
ようになったのは、かなり良かったことです。
介護から解放されたが
在宅介護をやっている頃は、自由ではない生活にストレスを感じていましたが、17年もやってきて途中で当たり前の生活になりました。
それでもやっぱり不自由を感じることは多々ありましたが、介護が終わった今は嬉しくもありますが寂しくもあります。
わがままな意見かもしれませんが、やっぱり誰かに頼られたり頼ったりすることって苦しい中でも「生きがい」を感じられるのではと思うように。
介護をやっている頃はそこまで感じる余裕は全くなく、今でも介護をできるかと言われたら「もう無理!」ってすぐに返答するぐらいですが、介護を終わって振り返ってみるとそんなことを感じたりします。
人はないものねだりなのでしょうか。
わがままな生き物なのだなぁと思っています。
最後に
今までは介護中心の生活を送ってきました。
もう50代になってしまいましたが、これからは自分達の人生をしっかりと生きようと思っているところです。
17年間の介護生活は、いろんなことがありすぎて濃すぎる日々を送ってきました。
その経験はとても貴重なものでした。
でもいつまでもそこに寂しさや無気力さを感じていては、旅立った義母も喜ばないと思います。
この大事な経験を胸に、50代からの人生を夫婦2人で思う存分楽しもうと思っている今日この頃です。
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