18年の在宅介護に終止符 今思う正直なこと

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在宅介護18年目。

先日ずっと看ていた要介護5の義母が旅立ちました。

まさかこんな日がこんなに急に来るとは全く思ってなく、あっという間にこんな日が経ちました。

今思うことを率直に話してみたいと思います。

目次

旅立ちの日が突然に

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この日が突然やってきた。

まさか迎えるとは。

いつかは来るとは心のどこかで思っていましたが、それがあんなに急にやってきたんです。

今まで要介護5の義母は体調を崩しても必ず復活してきました。

今回もそうなると軽く捉えていたんです。


6月に入ったぐらいからこもり熱がひどく、なかなか抜けない毎日でした。

体温は39℃近くまでに。

それでもバイタルは脈がいつもよりちょっと高いぐらいで酸素は99%とれていたんです。

表情もいつもと変わらない状況だったので毎年暑い時期のことぐらいに思っていたのです。

もちろん担当医には逐一報告し、いろんな薬を処方してくれましたがこもり熱がなかなか抜けない。

だからアイシングをしたり、背中を濡れたガーゼで拭いたりしてこもり熱を抜くことはやっていたんです。

それでも体温は下がらずよく分からない状況。

でも表情は苦しそうではなく「どうしたものか」ってずーっと心配はしていました。

そのうち薬が効いてくるぐらいの気持ちでいたのですが、その日は突然にやってきたんです。


亡くなる前日から肩を動かしながら呼吸するようになり目が虚ろに。

すぐに担当医に電話をしたら駆けつけてくれました。

いつもは脅かすようなことを一切言わない先生からは、この日ばかりは

「お母さん結構厳しい状況なんですよね。」

という言葉が。

それでも今まで散々こういうことがあって乗り越えてきたのでまた復活すると思っていたのです。


しかし次の日、不思議なことにパルスオキシメーターが全く表示しなくなりました。

冷たくなった指先を何度温めて計り直しても酸素濃度も脈拍数も数字が出ないのです。

電池がないと思い確認したり、壊れたと思い自分の指で計ってみてもしっかり数字が出る。

義母の呼吸のリズムが段々と広くなってきました。

1回呼吸したと思ったら2~3秒止まりまた呼吸をする。

そのリズムが段々と・・。


そして呼吸するごとに動いていた胸が急にピタッと止まったのです。

直後下唇が紫になりました。


義母が旅立ちました。

後悔はやっぱり残る

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亡くなった瞬間、全く信じられませんでしたがもう全く動きません。

最初は不思議と涙が出ませんでしたが、15分後ぐらいに後悔と謝りたいという気持ちが一気に出て涙が止まりませんでした。

介護は手伝っていたつもりでしたが、

  • 心の中では介護を面倒くさいと思いながらやってきたこと
  • いつまでこの生活が続くんだろうと薄々思っていたこと

などを感じながらやってきたことにとても申し訳なさが出てきて、

  • もっと気持ちを込めて優しくすればよかった
  • こんなに急に逝ってしまうとは思ってなかった

と、後悔で胸が押し潰されました。

冷静に考えればその時は頑張っていたと思いますが、なんでもっと頑張れなかったのだろうという悔しさだけが全面に押し出されたのです。

ぽっかりと心に穴が開く

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この日からなぜか実の娘の妻よりも僕の方が脱力感がすごかったです。

まさにぽっかりと心に穴が開いた状態。

何もやる気が起きずただ生きているだけの状態。

何をしていいのかも全く浮かばず、起きたらぼーっと寅さんばかり観ていました。

ごちゃごちゃと地上波で放送するニュースやバラエティ番組は観たくなかったのです。

寅さんのあの昭和の雰囲気の中での人情味あふれるストーリーが、ただただこの時の心境に心地よく、真剣に観ずともただテレビから流すだけで心が癒されました。


亡くなった義母も寅さんが大好きだったので、我々と一緒に観ていたのかもしれません。

家が広く感じる

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わが家はそんなに大きな家ではありませんが2階建ての一軒家。

これまでは1階に介護部屋があり、2階を我々夫婦の生活スペースに分けていました。

毎日何人もの介護関係者が出入りしていたので、プライベートとか完全には分けれられない生活でしたが、それでも1階と2階で分けるだけでも多少違います。


しかし義母が亡くなってからは、介護関係者の出入りがパタリと止まり誰も来ない毎日。

当たり前ですがこのギャップがあまりにも大き過ぎた。

あんなに狭く感じていた家がとても広く感じるほどに。

毎日何度も押される玄関のチャイムも、今では全くならない日々。


同時に虚しさも出てきます。

たくさんの人に最期まで救われた

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義母の葬儀は行わず自宅で2日間一緒に過ごし、火葬の日は出棺前に2時間ほど業者の霊安室で最後の時間を過ごしました。

介護関係者には以下のことをケアマネさんから伝えてもらいました。

  • もしよかったら最期の顔を見てあげてほしい
  • 香典などは一切お断りするので気を遣わないでほしい
  • 強制ではない

正直利用者と事業所の関係だったので2~3人ぐらいは来てくれるとは思ったのですが、想像もしない人たちが義母の顔を見にきてくれたのです。

自宅にいた2日間と出棺前の2時間で合わせて30人弱の人が。

葬儀でないにも関わらず仕事の合間を縫って足を運んでくれました。

これにはびっくりで感謝しかありません。


またもっと嬉しかったのが、過去に義母の介護に携わっていた人たちもきてくれたんです。

その中には5年も会ってなかった人も。


大勢の人たちが義母の顔を見にきてくれ思い出話をし、我々夫婦も悲しみだけに暮れることなく感謝の気持ちで満たされました。

実娘の妻が崩れなくて安堵感

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妻は実の娘。

妻は30歳から24年間ずっと介護との生活。

父親は小さい時に生き別れ一人っ子。

だから頼る人も全くいない状態で1人で頑張ってきました。

義母が元気な時にはかなり愛情をもらったようで、今度は私が守るという強い気持ちでずーっと介護を頑張ってきたのです。


そんな姿を僕も見てきたので、義母が亡くなったら妻がショックが大き過ぎて倒れてしまうのでは、と心配がありました。

これからそうなるのかは分かりませんが、想像していたよりもしっかりしているので安心しています。


本人曰く

「介護はやり切った感がある。もうこれ以上は無理っていうところの状態までやってきたので達成感がある。マラソンで言えばペースは遅いが最後まで棄権せずに完走した感じ」

と言ってました。

これを聞いて一安心。

あとは何度も2人で話してますが、義母が亡くなる瞬間を見届けられたというのも大きいかもしれません。

少しずつ無力感から脱出

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義母の火葬が終わり1週間以上が経ちました。

最近は少しずつ無力感から抜け出せるようになってきました。

こうやってブログを再開する気持ちも出てきたし、夫婦で毎日ウォーキングも欠かさずやるようになりました。

少しずつですが、無力感が薄まってきて今度は2人の人生を歩む気持ちが出てきました。

まだ悲しさとこれまでの生活とのギャップに戸惑いがありますが、時間だけが解決すると思えるようになってきたので無理せずに少しずつ日常に戻っていこうかと思っています。

最後に

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義母が亡くなって約半月になりますが、この期間は不思議な日々でした。

時空が違うところで過ごしているような、今まで生きてきた中でも初めての体験です。


18年という在宅介護生活を送ってきたので思いも強く、その分ショックも半端なく大きいですがこの経験は貴重でした。

辛いことが多かったですが学ぶことも多かった。


要介護5の義母は、今は要介護というものから解放され自由に飛び回っていると思います。

25年間不自由な身体で過ごしてきたので、これからはそれ以上に好きなことをあの世で思う存分堪能してほしいと願うばかりです。

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