在宅介護歴18年目のわが家。
要介護5の義母は、2024年6月23日に永眠いたしました。
突然やってきた最期でした。
それは家族水入らずの中、看取れて綺麗な終わり方だったんです。
その時の様子と心境、またその後の流れを綴りたいと思います。
同じ在宅介護をしている方の、少しでもご参考になれば幸いです。
在宅介護歴18年目のわが家の最期
要介護5の義母の最期は、家族水入らずの中で旅立ちました。
僕と妻と3人だけの状況の中。
まさに、義母が3人だけのタイミングを見計らうかのようなタイミングでした。
というのも、我が家では毎日各介護スタッフが何人も出入りする状況。
全く出入りのない時間帯なそんなにありません。
旅立ったのは、3人だけで過ごせる数少ない時間帯だったんです。
僕と妻はまさに目の前で、その瞬間をしっかりと見届けました。
まさかそれが最期の姿とは思ってもいませんでした。
体調は若干崩していましたが、それが最期だったなんて。
でも義母が逝く直前に、口を2度ほどパクパクさせて何か言ったのをみたのです。
気管切開をしているため声を発せませんが、間違いなく何かを言いました。
その数秒後に、カクッと首が傾き旅立ったのです。
今思い返すと考えられる前兆
後になって思い返すと、最期が近づいていたという前兆はいくつかあったんだと気づきます。
どんなことだったのか、わが家の場合でご紹介したいと思います。
3ヶ月前から急な痙攣が起きた
今年の3月のある日、突然の痙攣が起きました。
わが家では毎晩夜勤ヘルパーさんに入ってもらっています。
我々夫婦は、2Fの寝室で寝ているのですがある日のこと。
夜中に突然夜勤ヘルパーさんから電話が入りました。
「大変です。すぐに降りてきてください」
確か夜中の3時ぐらいだったと思います。
なにごとかと寝ぼけた状態で2人で義母の元へ行くと、全身痙攣しているのです。
意識はあるのですが、1秒に2回ほどのスピードでカクカクという痙攣。
目は普通に空いているし、触ってもしっかりと反応はあります。
その日は看護師さんに電話して対応してもらい、それから1ヶ月ぐらいは続いたり治ったりを繰り返しました。
体の中で何か異変が起きていたのかもしれません。
その時の詳しい記事があるので、詳しく知りたい人はこちらをご覧ください。
最期を迎える1週間前から便が出なくなった
旅立つ1週間前ぐらいから、ガスや大便が出なくなりました。
摘便をしてもあまり出ないのです。
お腹はパンパンに張り、見るととても可哀想なぐらいの膨らみかたでした。
担当医に話し薬を処方してもらったり、訪看の看護師さんに毎日摘便を頼んだりしていましたが、ほとんど出ずお腹は膨らむばかり。
多分腸の働きが、ほとんど機能しなくなっていたのではと思います。
最期を迎える5時間前からパルスが無反応
母が旅立ったのは昼の11:27。
その日の朝9時まで入っていた夜勤ヘルパーさんの話によると、朝の6時ぐらいからパルスオキシメーターが反応しなくなったというのです。
義母は手先が冷えやすく、冷たくなると反応しないことがたまにありました。
その時は手先を温めてから計測するようにしていたのですが、温めても反応なし。
パルスオキシメーターの電池がないかと思い確認しましたがしっかりと残っています。
壊れたのかと思い、自分の指先で測ってみるとしっかりと数値が表示されます。
しかし義母の指先に何度はめても、他の指で試してみても、パルスオキシメーターの数値は出ず横線のまま。
これは医学的に前兆だそうです。
担当医も看護師も言っていました。
亡くなる数時間前から、パルスの数値が取れなくなる人がほとんどだそうです。
その後の流れ
義母が旅立ってからのその後の流れは、とてもスムーズなものでした。
ご参考までに、わが家の場合を振り返ります。
すぐに訪看の看護師さんがきてくれた
これもタイミングがいいのか、義母が旅立ったその日の午後には体調が悪かったというのもあり、訪看の看護師さんが来る予定だったのです。
義母が亡くなる11:27前に、看護師さんからどんな様子なのか先に電話が入っていました。
妻が電話対応をしていました。
まさに義母がカクッと脱力する瞬間を見ながら妻は電話口で
「あれ、もしかした母は今逝ったかもしれません」
と話しました。
僕はすぐに義母に話しかけたり体をゆすったりして確認しましたが、反応は全くなし。
看護師さんはすぐに駆けつけてくれたのです。
その後担当医も
それから30分後くらいに看護さんが到着してすぐに義母を確認。
担当医に連絡を取り「心肺停止です」と報告。
それからおよそ1時間後くらいに担当医が到着。
担当医も義母の確認をしました。
本当にこの流れがスムーズだったのです。
この日は日曜日ということもあり、忙しい担当医も休みですぐに駆けつけられる状況。
そしてその前の看護師さんがきてくれたタイミングといい、もうこれ以上ないというぐらい無駄のない流れでした。
あとで妻と話しましたが、そんなところまで義母がタイミングを見て逝ったのではと。
看護師さんがエンゼルケア
担当医は、死亡診断書を書くために一度自宅に戻りました。
その後また死亡診断書を持ってきてくれました。
看護師さんも一度準備のために戻り、再度わが家に来てエンゼルケアをしてくれました。
僕たちも一緒に手伝いましたが、全身を綺麗に拭き綺麗な服を着せて最後はうっすらとお化粧。
化粧は実娘の妻がしました。
最期の10年の義母は、喉に気管切開、お腹に腸瘻と管が入った人生を送ってきました。
担当医が全て抜いていってくれたので、首もお腹も人工的なものが抜けてやっとスッキリとした義母。
何度顔を見ても、今でも起きてきそうな表情で全く信じられませんでした。
葬儀屋さんに連絡
エンゼルケアが終わり、葬儀屋さんに連絡をしました。
連絡をしてから1時間後くらいにきてくれ、最期の形をどう見送るか相談。
その場で火葬場の予定などを確認して、火葬の日も決まりました。
火葬の日に合わせて、最長で家に義母が居られる日にちやその後の一時安置の日程などが決定。
その場で義母の体が傷まないように、ドライアイスをセットしていってくれました。
わが家の最期の見送り方は、こんな感じです。
もっと詳しく知りたい方は、こちらの記事をご覧ください。
まとめ
表現が正しいのか分かりませんが、わが家の場合は何もかもスムーズにことが運びました。
きっとこれが平日だったり夜中だったりすると、もっとバタバタしていたと思います。
一連の流れはこんな感じです。
現在介護をやっている方は、あまり考えたくないことだと思います。
でも1つ言えることは、急にこんな状況が訪れることもあるということ。
わが家は最期まで家で看るという強い気持ちがあったので、周りの人たちも理解してくれ協力をしてくれました。
最期はどういう形で見送りたいのか、考えておくことはしておいた方がいいです。
ご参考までに。
コメント