家族が亡くなって最期は葬儀をして見送りますが、身寄りの少ない人にとって弔問者がいるかどうか分からずに、葬式をするか迷いますよね。
わが家では2024年の6月に義母が亡くなったのですが、まさにその時に迷いました。
タイトルにもあるように一般的な葬儀はせず火葬式にしたのですが、結果とても温かく見送れたのです。
どんな感じで温かく見送れたのかご紹介します。
同じように悩んでいる方のヒントになれば幸いです。
在宅介護17年に終止符
長い在宅介護生活が終わりました。
今考えても実娘の妻はもちろん自分も頑張ったと思います。
振り返るといろんなことが多すぎて、とてもひとことでは言い表せない17年。
義母が亡くなったのはとても、悲しく寂しく悔いが残ることもあるけれど、最近は少しずつ自分達の人生に向き合うようになってきました。
今までは介護中心の生活。
夫婦2人で出かけることもままならならず、他の人から見たら完全に異常な生活だったけど、学ぶ部分も大きかったです。
今言えることは、介護をやって良かったということ。
介護の世界を知れたことはもちろん、人生とは何かとか深いところまで色々考えるキッカケも大きく、介護に出会ってなかったらここまで色々考える自分に出会えてなかった思います。
亡くなった当初はショック過ぎて何もやる気が起きない日々が続きましたが、少し落ち着いた時に書いた記事があります。
ぽっかりと心に穴が空いた時の心境です。
介護ロスっていう状態。
興味のある方はどうぞ。
葬儀に介護関係者を呼ぶか迷った
わが家は身内がなく、妻は一人っ子。
小さい時から母子家庭で親戚もほとんどいません。
僕も父はいなく母は健在なのですが、田舎に住んでいてもう高齢なので、葬儀は呼べる人がほとんどいない状況。
そこで悩んだのが、
介護関係者に声をかけるか?
わが家は17年間在宅介護をやってきたので、最期まで関わってくれた各介護スタッフには10年以上の人が多いんです。
でも利用者と事業所との関係。
長かった人が多いので、最期に義母の顔を見たい人もいるのではと思いました。
考えた末、一般的な葬儀をしても弔問者が全くいなかったら切ないし、呼んだら香典などで気を使わせてしまう。
それなら一般的な葬儀をせず、
- 香典は一切受け取らない条件
- 弔問の強制もなし
- 最後に顔を見たい人やお線香を上げたい人はどうぞ
というスタイルでいくことにしました。
その内容をケアマネに伝え、各事業所に伝えてもらいました。
家族葬でも多くの人が来てくれた
義母の顔を見にきてくれる人は3〜4人ぐらいかなぁって個人的に思ってましたが、実際に来てくれた人は想像を遥かに超え30人来てくれました。
これにはとてもビックリしたのと人の温かさに包まれました。
それも途中からわが家を離れ、数年会ってなかった人たちも7〜8人来てくれたんです。
これは本当に嬉しかった。
声をかけて良かったと思いました。
介護関係は、事業所によって弔問を禁止しているところもあるようです。
来てくれた人たちの事業所はどうか分かりませんが、人として嬉しかった。
今までわが家の在宅介護では、スタッフを選ぶ時も人柄重視で選んできたので、やっぱり優しい人たちばかりだったということもあらためて実感できました。
わが家の家族葬の火葬までの流れ
わが家では一般的な葬儀はやらず、火葬式のシンプルなものにしました。
それでも多くの人が最期に義母に会いにきてくれたのです。
どんな感じの流れで来てくれて最期義母とお別れしたのか、詳細をご紹介いたします。
義母が旅立った日
義母が2024年6月23日11時27分に永眠しました。
どういうタイミングか我が家には介護スタッフは全く入らない時間帯で家族3人しかいない状態。
僕と妻2人だけの前で静かに息をひきとりました。
夕方まで
ちょうどその日は昼過ぎから訪看の看護師さんがくる予定で、亡くなってから1時間後ぐらいには到着。
義母の状態を確認をして担当医に連絡をしてくれました。
その1時間後に担当医が到着。
義母の死亡確認をして、今まで長い期間義母に入っていた異物をとってくれました。
気管切開と腸瘻です。
どれだけ苦しかったことか。
やっと楽な体になれたという気持ちになりました。
その後、担当医が死亡診断書を作成するために一旦自宅へ戻り、また数時間後に持ってきてくれました。
その間に看護師さんがエンゼルケアをしてくれました。
義母の死化粧は実娘の妻が。
ずっと介護しやすい味気のない上下服だったので、最期は妻の希望で可愛い妻の服を着させてあげました。
またマニュキュアも。
60歳で倒れてからずーっと介護される人生だったので、おめかしというものは長年やってませんでした。
最期ばかりは、可愛くしてあげたいとの妻の気持ちです。
夕方から
その後葬儀屋さんに連絡をし、2時間後ぐらいに自宅きてくれ説明をいろいろ受けました。
火葬場がスケジュール的に5日後に決定。
どのぐらいの大きさの葬儀をしたらいいのか相談。
身内はゼロ。
僕と妻のみ。
でも最期に長年お世話になった各介護スタッフに報告をして、きてくれる人だけでもということを告げました。
また葬式をあげても香典はもらえないけど要求する形になってしまう。
どうしたらいいものかと質問。
それなら1番シンプルな火葬式はどうかとの返答。
義母は可能な限り家に置いてあげたかったので、最長でどれぐらいまで家に居させることができるか聞いたら、
「毎日ドライアイス交換をやっても遺体が傷んでくるので限度は自宅で2日ぐらい」
とのこと。
それなら2日間は家に居させられるから、その間に義母の顔を見れる機会が設けられると思い火葬式にしました。
5日後の火葬の日も葬儀屋さんの霊安室で、出棺まで会うことはできるとも言われたので、その日も皆さんを呼ぶことができると判断。
その日は義母にドライアイスをのせていってくれました。
葬儀屋さんと話し合いが終わると、その場でダンボールで組み立てられる祭壇と香炉やりんやお線香など、簡易セットを置いていってくれました。弔問者がきたらお線香をあげられる状態にできます。
その後
わが家では毎晩夜勤ヘルパーを頼んでいたのですが、義母が旅立ったためその晩のヘルパーさんに連絡。
夜勤に入る時間のギリギリまで連絡がとれませんでした。
寝ていると思い、LINEで連絡をとったのですが一向に既読がつかず。
返事が来たのは夜勤に入る2時間前ほど。
電話で事情を説明し、今までの感謝を述べました。
そこでそのヘルパーさんは
「よろしければ最期お顔を見させていただいてよろしいですか?」
とのありがたいお言葉。
僕たちもその気持ちがとても嬉しかったです。
わが家で1番長く入ってくれた夜勤ヘルパーさん。
10年間お世話になりました。
旅立った次の日
旅立った日は日曜日ということもあり、各介護事業所はお休みのところも多くまだ連絡を入れていませんでした。
タイミングが良いと言っていいのかわかりませんが、次の日の9時30分にケアマネさんが月一の自宅訪問日でした。
そのためまだ連絡をせず訪問した時に初めて事情を話しました。
もちろん玄関口で話したらとてもビックリ。
それはそうですよね。
元気でいる義母だと思って訪れたらもう亡くなったという内容ですから。
そして義母の顔を見てもらい我々の希望も話しました。
ケアマネに希望を話す
ケアマネさんに話した内容は
これらの希望を伝え、葬儀屋さんの地図が書かれた紙を渡しました。
今までお世話になった各介護事業所に、この旨を連絡して欲しいと話しケアマネさんは快諾してくれました。
ケアマネさんは、「最後の日も義母の顔を見にいきます」と言ってくれました。
本当に優しい方です。
このケアマネさんは本当に頼りになった人。
このケアマネさんがいなければ、わが家の介護生活はここまで大きく良い方向に変わらなかったと言えるぐらいの人でした。
13年間お世話になりました。
その後
自宅にいる義母に会いに来てくれた人に、意外な人もいてびっくりしました。
それは数年前までお世話になっていた訪看の看護師さんでした。
他の支店に移動になり、出世されて地域の統括マネージャーになった方。
わが家にはかれこれ2〜3年来てなかったのですが、昨日エンゼルケアをしてくれた看護師さんから話を聞いたようで、かけつけてくれたのです。
今は直接関係していないのに来てくれるなんて、とてもありがたかったです。
この日来てくれた弔問者【9人】
旅立ってから2日目
この日も多くの人が来てくれました。
はっきり言って利用者と事業所の関係なので、ここまで来てくれるとは夢にも思っていませんでした。
そしてその中にはまた、以前にお世話になっていた人もいました。
1人目は4年前まで入っていたヘルパーさんです。
もうだいぶ会ってなく、途中で結婚をしお腹に子供がいる状態なのにわざわざ来てくれたのです。
それもとても暑い中、わざわざ都内からそんな身体で来てくれるなんて。
他にも数ヶ月前までお世話になっていた訪問入浴のスタッフも3人来てくれました。
最後は直接関わっていないにも関わらず、わざわざ足を運んでくれた気持ちに
「ありがとうございます」
の感謝の気持ちしかありません。
他にもたくさんの人たちが。
葬式ではなく、この形でやれたのが逆に良かったのかもしれません。
この日来てくれた弔問者【13人】
旅立ってから3日目
この日は、葬儀屋さんが義母を迎えにくる日。
迎えに来て2日後の火葬日まで一旦葬儀屋さんの霊安室にお預けです。
僕と妻と3人だけでゆっくり過ごしました。
失礼ととられるかもしれませんが、写真もいっぱい撮りました。
綺麗になった義母との3人のショット。
冷たくなった義母ですが、声をかけるとスッと起きるのではと思えるぐらいの表情です。
夕方前に葬儀屋さんが来て、義母は行ってしまいました。
義母がいない介護ベッドがとても切なく感じました。
旅立ってから4日目
この日は妻と買い物へ。
明日の出棺の際に、義母が大好きなものをいっぱい入れてあげようと考えました。
葬儀屋さんに聞いたら、ほぼほぼ何を入れてもいいとのこと。
生前好きだった食べ物や気に入っていたものなどを入れてあげる人が多いとのこと。
中にはトンカツを入れた人もいたみたいです。
これを聞いて、義母の好きなものの買い出しに。
・お寿司
・和菓子
・マカロン
・GODIVAのチョコレート(食べたことがないので)
・緑茶
・煎餅
などなど
たくさん買い込みました。
また道中寂しくないように、我々の写真と生前3人で撮った写りのいい写真をチョイスして、感謝の言葉を入れて印刷したものも用意。
明日の準備をした日になりました。
旅立ってから5日目 「出棺・火葬」の日
朝から強い雨。
まさに義母が涙を流しているように感じました。
葬儀屋さんから出棺するのは13時。
11時から2時間、霊安室で最期の義母の顔を見れます。
霊安室には多くの人が
強い雨にも関わらず、この日も3年ぐらい前にお世話になっていたヘルパーさんがわざわざ訪ねてきてくれました。
今は他県在住で2時間ぐらいかけてきてくれたのです。本当に感謝です。その他にも再びケアマネさんもきてくれ、それ以外にもなんと6人もの人が。義母も喜んでくれたと思います。
この日来てくれた弔問者【8人】
霊安室には、棺桶に入った義母の前に簡単な祭壇が置かれているので、弔問者がきてもお線香をあげられる状態です。ただ葬儀屋さんによって何人までと決まりがあります。あまり多いのなら一般的な葬式をした方がいいと思います。
火葬は我々2人だけで
その後は出棺。
妻と2人だけで火葬場へ。
火葬場は海沿いの場所にありましたが、しとしとと降る雨で海はよく見えず義母と最期のお別れです。
もう棺桶の中にいる義母。
最期の顔を見るのはこれで本当に最後。
悲しさはありましたが、本音を言えばそこまでではありませんでした。
少し目が開いていて、その瞳を見るともちろん亡くなっているので当たり前ですがマネキンのように感じました。
「義母自身はもうこの身体にはいない」と何故か強く感じていました。
もちろん、ずっとこの身体の義母を長年看てきたので切なさはありましたが、悲しみとは違う不思議な感じでした。
最後に
わが家のように弔問者がくるかどうか分からない人は、このような火葬式を検討してみてもいいかもしれません。
火葬までの日取りで家に滞在できる時間が多少変わるかもしれませんが、介護関係者を呼ぶなら自宅の方が来やすいのは確かです。
亡くなる前からそんなことは考えたくないという気持ちがあるのは当然ですが、いざとなった時に何も考えないでいるとバタバタしてしまいます。
心苦しいのはとても分かります。
でもいずれ必ずやってくる家族の死。
最期は少しでも温かく送ってあげたいと思うのなら、
- 葬儀屋さんを調べておく
- パンフレットを取り寄せておく
とかの準備は大事なことだと思います。
少しでもご参考になると幸いです。
- 介護関係者を呼びたいのなら、ケアマネから連絡を入れてもらう
- 一般的な葬儀はやらずに火葬式もあり
- 火葬式でも火葬日までに顔を見れる機会はある
- 弔問者が多くいるなら一般的な葬式がベスト
- 弔問者がいるかどうか分からないなら火葬式の選択もあり
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