介護は
- つらい
- きつい
- 汚い
の三拍子が揃ったイメージ。
在宅介護をやっている人にとっては、毎日心身ともに疲弊している人も多いのではないでしょうか。
マイナスだらけのイメージと実際に相違ない介護の世界。
わが家は在宅介護歴17年目。
そんな環境の中でも、気づきや人生においての勉強になることがあるんです。
この記事ではそんなところを私個人的な意見ですが、綴ってみたいと思います。
日々介護に疲れている方の、少しでも心の支えになれば幸いです。
わが家で看ている要介護5の義母
わが家で看ている義母の状態は
- 四肢麻痺
- 気管切開
- 腸瘻
- 完全寝たきり
分かりやすくいうと
- 手足を自力で動かせない
- 首の部分にカニューレが入っていて話せない
- お腹から腸にカテーテルが入っていて栄養や水分はそこから摂取
- 自力で動かせるのは首から上だけの完全寝たきり状態
もちろん意識はあり、話しかけても首や目や口で反応を示してくれます。
このような状態なので必ず付き添いが必要で、痰が上がったらすぐに吸い取る喀痰吸引が必須です。
介護はつらいがその反面も
在宅介護歴17年目になるので、大抵の介護にまつわる経験はしてきたつもりです。
介護と私生活との両立生活にもなれ、今のスタイルは当たり前になりました。
それでもやっぱり「つらいなぁっ」て感じることは多々あります。
その反面、介護をやってきて良かったと思えることも多々あるんです。
介護の経験をしてきたからこそ、気づけたことや考えさせられることが自分の人生において貴重なことだと。
多分介護を経験していなかったら、自分のことしか考えずもっと薄っぺらい人生になっていたと思います。
経験って楽しいことに越したことはありませんが、やっぱりつらい経験をした先に見えてくるものって、後になって「大事なことだったんだなぁ」って気づかされるんです。
もちろんつらいことは、これ以上もう経験したくはありませんが。
文句や愚痴を言えるのは幸せな証拠
そんな気づきの多い介護ですが、その中でも文句や愚痴を言えることも幸せな証拠の1つだと思いませんか?
もちろん毎日生活していてさまざまな嫌なこともあります。
会社で、家庭で、人間関係で、・・
その時に文句や愚痴が出るのは当然。
でもちょっと俯瞰してみると、文句や愚痴を言える状況って自分が元気だから出る感情ですよね。
もし自分に元気がなかったら反発する気持ちすら表れません。
そう考えると文句や愚痴を言える状態は幸せなんです。
わが家の要介護5の義母をみていると、たまにそんなことを感じます。
要介護5の義母を看て気づいた大事なこと
わが家の義母を毎日介護していて気づいたことはたくさんありますが、人生という長い中で忘れてはいけない大事なことに気づかされました。
感謝の気持ちをもつ
日々の当たり前のことができる、感謝の気持ちをもつことが大事だと気づかされました。
当たり前のことって何も感じずに普段は過ごしています。
でも完全寝たきりの義母を見ると
- 首から上以外自ら動けない
- 口から飲食できない
- 話せない
もし、自分がこんな状態になったらとたまに考えるんです。
だからその分、普段当たり前にできていることに感謝しないといけないって気持ちが芽生えました。
- 身体を動かせること
- 歩けること
- 美味しいものを食べられること
- 飲めること
- 自分の意見を言えること
- 人と会話できること
当たり前ですが、自分がやりたいことができるという健常者の状態にもっと感謝しないとバチが当たる。
そんな思いを抱いています。
喜びをもつ
前項に通じますが、当たり前にやっていることへの1つ1つできる喜びをもつということも、もっと敏感になった方がいいと思いました。
1つ1つの動作や行動ができる喜びを感じられれば、何をやっていても心が満たされるような気がします。
幸せは身近にある
平凡の毎日の中にこそ幸せがある。
上記の感謝の気持ちと喜びを意識できれば普段の何気ない毎日でも幸せを感じられます。
究極、その日無事に1日が終われればそれで幸せ。
普段忘れがちになってしまいますが、平凡な毎日の中にこそ幸せがあると感じていたいですよね。
最後に
これらのことを考えると、愚痴や文句を言えるのも幸せな証拠です。
確かに辛いことはたくさんありますが、それを感じてストレスが溜まり愚痴や文句が出せること自体が恵まれているということ。
そんな考えを持てれば、もっと周りに対しても違う目線がもてそうですよね。
現在のわが家はやっと介護と私生活の両立が少しずつとれてきました。
諦めなけれが必ずそんな環境がつくれます。
興味のある方はこちらもご参考になさってください。
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