わが家で看ている要介護5の義母。
気管切開をあけてからは重度訪問介護を利用している。
夜勤のヘルパーさんを毎晩入れられるようになってから今まで入院騒動が1回もない。
これはとても大きなことで以前の介護保険だけの時期は、夜勤のヘルパーも頼めなかったので我々夫婦2人でほぼ看ていた。
そのため夜中の吸引やらその他の介護ケアもろもろで疲れ切っていて今ほどしっかりと看られていなかったので、それまで年に数回は入院騒動があったのだ。
ということは、それだけつきっきりで夜中もケアをしてもらえているのが大きいのだろう。
そんな重度訪問介護を利用してからの在宅介護生活から9年、ずっと入院騒動になるまでのことはなかった。
しかし先日とうとう体調が悪化する出来事が起きてしまった。
要介護5の義母が重篤に
9月の初旬。
まず初めに僕が風邪をひいてしまった。
喉が痛くだんだん咳が出るようになった。
わが家では抗原検査キットをいくつか常に常備しているので一応検査した。
結果陰性。
発熱はない。
その流れで妻にうつしてしまい妻も発熱なしで陰性。
われわれ夫婦の風邪をうつしてしまったと思うが、義母は咳は出ないが気管支がゼェゼェいうようになった。
吸引してもなかなか痰が引けない。
毎回測るパルスオキシメーターの酸素濃度の値がどんどん下がってしまった。
いつもなら酸素吸入器の値が0.5L/分で酸素濃度が98~99あるのだが、95、94、91と下がってきた。
酸素が体内に取り込めない状態だ。
担当医に状況を説明して酸素吸入器の値を上げた。
徐々に値を上げても酸素濃度が上がらない。
わが家で使っている酸素吸入器の最大値は3.0L/分。
最終的にここまで上げても酸素濃度が90前後までしか上がらなくなった。
先生が酸素吸入器を最大値7.0L/分のものに変えてくれた。
結果全く上がらず2台の酸素吸入器を使うことになった。
一時は最大値が5.0L/分+5.0L/分で計10.0L/分の酸素吸入。
先生から重篤状態と言われた。
酸素濃度は93~95前後。
さすがにこの時初めて義母の死を意識した。
最期まで在宅介護で看る覚悟
重篤状態になった義母。
担当医が病院で検査入院をすすめてきた。
実の娘の妻も僕もそれだけは拒んだ。
コロナ禍で一度病院に入ってしまえば退院までもう会えない。
イコール次に会う時は冷たくなった義母だと2人とも考えた。
コロナ禍でなければ常に付き添えるのに叶わない現状。
万が一義母に何かあっても入院だけはさせまいと以前から2人で話していた。
それでなくても今まで完全寝たきりの義母は病院で適当に扱われてきた現実がある。
何があっても在宅介護で看る覚悟はできていた。
とても理解のある担当医
わが家の担当医はとても忙しい先生。
自分のクリニックをもっていて平日の昼間は診療、それ以外に在宅医、介護施設の担当医とすごく忙しいのだ。
かといって適当な診察はしないし今まで何かあってもしっかりと診てくれ、その都度対応してくれたので信頼している。
ただ今までゆっくりと話したことがなかった。
今回、義母が重篤になって一度時間をつくってもらい話がしたいとお願いしたところ、話す機会を忙しいなかつくってくれた。
話したい内容は前項でも述べたようなことだ。
在宅介護歴16年ずっと大事に看てきて最期は入院のまま義母と別れたくないこと、最期まで在宅で看る覚悟があることを告げた。
先生はそれを聞いてまず病院と在宅ではやれることが大きく違うこと、使える医療機器や設備がかなり違うので患者に対してかなり対応には差が出るという説明を受けた。
だから最期まで在宅を望むならそこだけは理解してほしいと。
でも在宅でできることは可能な限り対応するとは言ってくれた。
その言葉が聞きたくて話をしたかったのだ。
安心できた。
この先生なら義母が最期を迎えた時に素直に「ありがとうございました」と言えると思えた。
わが家の担当医になってからもう10年くらい経つが、やっぱりとても理解のある担当医で使命感の強いお医者さんだと改めて実感した。
先生の思い切った治療
義母の重篤への治療。
担当医は話し合いで我々の「在宅で最期まで」との強い気持ちを汲んでくれたのか義母に点滴で治療をしてくれたのだが、そこでまた思い切ったことをしてくれたのだ。
通常なら点滴の針を腕なり足なりから入れるが、義母は血管が細くすぐに漏れてしまうのだ。
だから過去に病院に入院した時は鼠蹊部から点滴を入れていた。
でも担当医からは「在宅で鼠蹊部から点滴を入れるのは無理と言われた」が、
なんと!
鼠蹊部に点滴のバイパスを確保してくれたのだ。
これには先生のクリニックの看護師さんも、いつもくる訪看の看護師さんも驚いていた。
先生が在宅で鼠蹊部から点滴を入れたのは今までで初めてとのこと。
そして訪看の看護師さんも
「先生すごいね、在宅で鼠蹊部に入れてくれたんだ」
とびっくりしていた。
義母を絶対に治すという先生の気持ちがひしひしと伝わった。
感謝という文字しか浮かばない。
その後の経過は・・
鼠蹊部からの点滴治療は結果、順調な回復を見せた。
酸素吸入量が最大10.0L /分だったのがみるみる落ちていった。
10→8→7→5Lと。
途中で2台の酸素吸入器が1台になり最低の酸素吸入量が1.0L /分だったので、最後はさらに下のグレードの酸素吸入器に変わった。
現在は1.0L /分。
通常の時の義母は0.5~0.75L /分だったのでほぼほぼ回復したと言ってもいい。
後になって看護師さんに言われたが酸素吸入量が10.0L /分というのは、ほとんど入院しないといけないぐらいのレベルらしい。
それを聞いてさらにびっくりした。
最後に
現在の義母は安定している。
鼠蹊部にはまだ点滴のバイパス、尿にはバルーンが入っている状態だが、酸素濃度も安定して発熱も胸のゼェゼェも全くない。
今回のこの騒動で義母の「死」というものを初めて実感した。
いつもは在宅介護をしていて正直に言うと辛い時や面倒臭い時が多々ある。
でも死というものを考えた時に
頼むから元気な義母でいてくれ
またいつもの介護がしたい
と心から思った。
今思えるのは、いつもは辛い介護だけどもそれも幸せなことなんだなって。
文句や愚痴を言えること自体が幸せなことなんだと気づかされた。
介護は辛いけど教えられること、気づかされることも多々ある。
今回の騒動では、介護生活ができることの幸せを気付かされた。
いつもの介護生活が戻ってきた。
愚痴がでる時もあるが、そのことにも幸せを感じながらまた続けていきたいと心から思った。
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