在宅介護は大変なこと、辛いことだらけです。
要介護者の状態や家庭環境によって介護の内容も様々ですが、家族が潰れてしまったら本末転倒。
在宅介護の家族の限界は、どんなことがあるのでしょうか。
この記事では、要介護5の在宅介護を17年間やってきた経験から
を振り返りたいと思います。
同じ環境の方の少しでもご参考になれば幸いです。
要介護5の在宅介護を17年

介護は、要介護者の状態によって介護者側の負担も様々。
どこが家族の限界点かの正解はありませんが、我が家での限界点を話す前に、どんな介護をしてきたのかをご紹介します。
要介護5の義母の状態
介護者の義母は要介護5。
完全寝たきりで
・気管切開
・腸瘻
・四肢麻痺
・てんかん発作たまにあり
の状態でした。
腸瘻・気管切開は途中からで、以前とその後では介護内容もだいぶ変わりました。
わが家の介護環境
わが家は僕と妻と義母の3人暮らしでした。
子供はいなく妻は専業主婦。
そのため妻が中心で義母の介護をしていました。
腸瘻・気管切開になってからは、重度訪問介護を利用するようになり、途中からは在宅介護と僕たち私生活の両立ができるようにまでなりました。
念願だった2人での旅行が行けるほどまでに。
要介護5の義母の介護内容
腸瘻・気管切開になる前とそれからでは、介護内容がガラリと変わりました。
それでも義母は完全寝たきりなので、このようなことは必須の介護でした。
- 食事介助
- おむつ替え
- 着替え
- 腸瘻・気管切開になってからは痰の吸引
もちろんそれ以外にも細かいケアはたくさんありますが、基本的には誰かがいつも付き添っていなくてはならない環境でした。
「要介護5の在宅介護」家族の限界点とは?

17年間のわが家での在宅介護を振り返ると、限界点はたくさんありました。
実際にどんなことだったのか見ていきます。
やり始めが1番きつい
在宅介護はやり始めが1番きつかったです。
それまでは老健・特養とお世話になっていました。
当時は週に2回の面会に行っていて、大型連休などに外泊で家によんでいました。
そのため介護の本当の厳しさは知らない状態。
実際に在宅介護をやり始めると、こんなところに限界を感じるようになってました。
介護の全てが初めてのことばかり
当たり前ですが何もかもが初めて。
どこかで研修を受けたわけではないので、見よう見まねでの介護。
当時義母はまだ四肢麻痺ではなく右半身は自力で動かせましたが、それでも寝たきり状態。
最初に最も大変だと思ったことは
・着替え
・おむつ替え
でした。
ベッドに横たわっている義母の服の着脱や、おむつ替え時には夫婦で汗だくになりやっていました。
大便の時のおむつ替えなんかはかなり四苦八苦。
汚い話ですがやり方が全くわからなかったので、あっちこっちうんち君にまみれながらやっていました。
介護サービスを入れるのに躊躇
在宅介護を始めた頃は、介護サービスを入れるのに躊躇していました。
他人を自宅に入れるのが嫌だったのです。
いつも各介護スタッフが来る前に部屋を片付けていました。
ただでさえ普段から介護で疲れているのに、サービスを入れる前にまた気を使って疲れるのは、今思うと全く意味のないことです。
それでも何もかも初めてだったので、散らかっている部屋に他人が入ることに抵抗を感じていました。
数ヶ月でこの気持ちはなくなり
「来てくれて助かる」
と思えるようになりましたが、最初はやっぱり誰しもそんなものだと思います。
そのうち悲しいことに介護疲れが出てきて、そんなところまで気が回らなくなってしまいます。
思うように介護サービスが入れられない

少しずつ介護サービスを入れるようになると、段々とその生活リズムに慣れきます。
そうなるともっと介護サービスを入れて「少しでも負担を減らしたい」という気持ちが出てきます。
時間数・経済的に許す限りお願いしたいとなるのです。
でも現実は厳しかった。
なかなか入ってくれる事業所や人がいない問題にぶち当たります。
まだまだ時間数はあるのに思うようにサービスが入れられないもどかしさ。
現在もそんなに変わらないと思いますが、当時は今よりももっと事業所数が少ない時代。
このジレンマは、在宅介護者にはとても大きな問題です。
要介護者は日々状態が変わっていく
要介護者は日々状態が変わっていきます。
高齢なので良くなることはありません。
悲しい現実ですが、日に日に弱っていくのです。
日々気をつけることが増えてくる
要介護者の変化で、気をつけなければならないことも増えてきます。
その分、介護者の負担となって重くのしかかってきます。
・以前に比べ熱が出やすくなった
・こもり熱が発生するようになった
・皮膚が弱くなって剥離しやすくなった
など、気をつけなければならないことが増えてきました。
介護内容も変わってくる
気をつけることが増えれば、その分介護内容も変わってきます。
介護ケアが減ることはなく逆に増えてきます。
・薬の量が増えればその分準備する手間がかかる
・薬の分量を測ったり水に溶かしたりする
・ネブライザーや排痰のための体交回数が増える
・バイタルチェックの回数やこもり熱のこまめなチェック
などのやらなければならないことが増えてきました。
重度訪問介護の時間数を何度か申請し増やしてもらい、うまくヘルパーに入ってもらう時間を増やして対応してきました。
それでも気にかけることが増えるので、神経が常に尖っている状態でした。
些細なことで喧嘩

わが家では僕と妻がメインで看ていたのですが、要介護5の義母にはどちらかが付き添っていなければならない状態でした。
常に疲弊している状態だったので、精神的にもかなりきていてピリピリしている。
そのためちょっとしたことで夫婦喧嘩も絶えませんでした。
僕が1番ひどかった時は
「俺の人生ボロボロだ!何を糧に生けていけばいいのかわかんねぇ~」
と大きな声で妻に罵り、自ら自分の髪の毛を抜き始めたことも。
今考えても、この時はもう限界のピークだったと思います。
自分の人生とは?と考えてしまう
介護に追われた日々を送っていると
「自分の人生とはなに?」
と常に頭をよぎります。
1番感じたのは、周りに楽しそうにする人や光景を見た時。
会社では夏休みや大型連休明けに、周りは真っ黒く日焼けした顔になっていたり、楽しそうに
「どこどこに旅行に行ってきたよ」とニコニコしながらお土産を買ってきたり。
そんな姿を見ると自分の胸が張り裂けそうな気分でした。
顔では笑っているけど心の中は全く真逆。
なんで俺だけこんな人生…
介護をやっていなければ大型連休は楽しみでしたが、介護をやるようになってからはそんな周りの幸せそうな姿を見たくなかったので、連休がくるとすごく嫌でした。
介護施設に預けるかの葛藤
こんな状態になると「やっぱり在宅介護は無理なのでは?」と思い始めます。
このことで妻と何度も話し合い、実際に有料老人ホームなどを5件ぐらい見学に行ったこともあります。
でも見学した後に絶対に感じたのが「やっぱり無理だ」ということ。
施設に見学に行くと、どうしてもどんよりと暗い空気を感じます。
入所者もどこか悲しそうな顔をしている。
そんな姿を義母と重ね合わせると、とても切なくなってしまいます。
でも自分たちの人生もある、と思うのですがなかなか踏み切れない。
そんな2つの狭間で葛藤していた時期もありました。
在宅介護で家族の限界を何度も迎えたが…

いろんな限界点に達して、途中からは自分の人生を諦めたように、毎日仕事と帰ってきたら介護という生活をするようになっていました。
夢も希望もない。
ただ仕事と介護をするだけの毎日。
そんな中でも、妻は諦めてなかったのです。
僕の知らないところで、着々といろんな人に相談したり電話をしまくっていて、在宅介護をうまくやっていけないか模索していたのです。
その努力もあって、在宅介護5年目を迎えるあたりから徐々に在宅介護の環境も整ってきました。
重度訪問介護を使い、夜勤のヘルパーを毎日入れられるようになってからは、僕たち夫婦もしっかりと睡眠をとれるように。
そうなると気分も少しずつ前向きになり、どんどんといい方向に向かいました。
最終的には安心して任せられる各介護スタッフに囲まれ、我々夫婦だけの旅行に行けるまでに。
この時に『介護と私生活の両立は頑張ればできる』と実感しました。
最後に

在宅介護17年のわが家の限界点を振り返りました。
今考えても限界点は何度もあり、超え過ぎて心身ともに壊れた状態だったと思います。
自分の明るい人生を諦めながらも介護を続けて、最終的には理想の在宅介護をすることができました。
介護は人それぞれの思いや考えがあり、生活環境も違うのでどれが正解ということはありません。
ただ限界点を何度も超えてきて、最終的には理想の在宅介護をすることができた我々がいるのも確かです。
介護は、実際にやったものにしかわからない独特の辛さがあります。
そんな人たちの少しでも何かのヒントやきっかけになれば幸いです。
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