介護は突然にやってくる。
本当にそうです。
自分が歳をとれば当然ですが親も歳をとります。
いつまでも元気だと思っていた矢先に・・。
要介護5の義母を在宅介護で看始めて、今年2023年で17年目に突入しました。
現在はわが家の在宅介護環境もかなり整い、義母は安定していて僕たち夫婦も自分の時間を持てるまでになりました。
ここまでくるのに一言では言い表せないほどのイバラ道を歩いてきましたが、今は3人で落ち着いた日々を送れています。
ここで義母の介護生活の歴史を改めて振り返り、どんな経歴を辿ってきたのかご紹介したいと思います。
2000年1月 脳出血で倒れる
当時義母は離島の地元で一人暮らし。
1月の寒い中に庭先の畑仕事中に倒れ、たまたま隣の人が発見し救急搬送される。
ドクターヘリで鴨川の病院まで搬送され、数十時間の大手術のうえ命は助かるが、医者から
「余命は短い」
と宣告される。
皮肉にも何かの縁といっていいのか分からないが、この年の4月から介護保険制度が始まりました。
実の娘の妻は当時まだ僕とは知り合ってなく、義母のリハビリと介護を仕事が終わってから毎日病院に通い頑張っていたらしいです。
妻は一人っ子で父親は幼少の頃に離婚し、母子家庭だったので頼る人がいなく完全に一人で奮闘する日々。
その後新しく始まった介護保険制度で要介護5の認定を受け、数か月の病院生活から介護施設へと移りました。
2000年〜2007年4月 老健で過ごす
妻の話によると、最初に入った老健はかなり酷かったみたいです。
施設の医者と相談員が手を組み義母がMRSA(感染症)にかかったと言い、施設から出さないようにウソをつかれました。
最終的に
「診断書を見せてくれ」
と言ったら、誤診だったと言い訳をされやっとの思いでその施設を出れました。
2件目の老健ではお尻に大きな床ずれをつくられました。
体位交換をしていないズサンなところで現在は完治していますが、お尻には床ずれの跡が今でもクッキリと残っています。
その後は噂で聞いた評判がいい老健を知りお世話になりました。
噂通りとてもいい施設でスタッフには優しい人が多く、ある程度安心して任せることが出来る老健でした。
一般的に老健は3ヵ月ぐらいで出されるのですが、事情を組んでくれたのか特別に数年おいてくれました。
しかし、とうとう出て行かなくてはならない時がやってきました。
2007年5月~7月 特養で過ごす
老健に比べ、特養は料金が安い所と終身まで看てくれるのが特徴です。
3ヵ月ごとに出される老健で常に肝を冷やすよりは、一つの施設でシッカリと看てもらった方がいいのでは、との考えから特養を探し何件か申し込みました。
特養は入所するのに順番待ちがかなりあり、いつになったら入れるか分からないぐらいの人気があります。
しかし要介護5の義母は優先されて、ある特養にすぐに入れることになったのです。
当時は妻と
「超ラッキー!」
と喜びました。
最初は・・・。
しかし、そこの施設はとてもずさんなところで3か月の間に2回もノロウイルスにかかったり、ひと言も断りなしに義母の髪の毛を刈り上げるまで短くされたり、食事介助を全くしてくれなっかたり・・・。
とビックリ&ドッキリなところが盛りだくさんの施設でした。
入所して3か月目に
「このままここの特養にいたら義母が危ない!」
と思い、在宅介護を決意したのです。
2007年8月~現在 在宅介護スタート
「義母の命を守りたい」一心で引き取った僕たち。
でもその考えはかなり甘かったようです。
在宅介護は想像を絶するものでした。
義母は要介護5。
当時は手は動かせたので食事の時は自分で食べられました。
箸ではなくスプーンで食べられる状態ですが、スプーンにのせた食事を全て口に運べるほどの状態ではなく、途中でこぼしたりする時もあり食事介助は必須でした。
完全寝たきり状態なので全ての介助が必要です。
- 食事
- 歯磨き
- 退位交換
- 着替え
- お下の世話
・・・等々。
今でこそこれらの介助は簡単にできるようになりましたが、始めた当時はオムツ交換一つとっても汗だくで時間もかかりかなり苦労しました。
介護の厳しさや辛さを実感した時でもあります。
でも施設に預けることを考えると、自宅にいる義母はとても安心なわけです。
そこから僕らの在宅介護生活が始まり今に至ります。
現在の義母
現在の義母の状態を詳しく説明するとこんな状態です。
- 要介護5
- 気管切開
- 腸瘻(ちょうろう)
- 四肢麻痺
- てんかん発作もち
詳しく説明します。
要介護5とは
要介護は全部で5段階あり、1番重い状態。
動作能力が低下し意思の伝達も困難になり、介護なしには日常生活を送ることが不可能な状態。
義母は完全寝たきりで、寝がえりさえ自分で打てない状態です。
気管切開とは
気管とその上部の皮膚を切開して、その部分から気管にカニューレを挿入する気道確保方法。
もちろん声も出せませんし、口から飲み食いもできません。
腸瘻(ちょうろう)とは
嚥下障害(えんげしょうがい)や認知症によって経口摂取が難しい場合に腸に穴を開け、そこから栄養を直接入れる「経管栄養法」のひとつ。
一般的には胃に通す胃瘻(いろう)の方が多いですが、義母は腸まで通す腸瘻です。
四肢麻痺とは
両手・両足の麻痺。
完全に手足が動かせず、義母の場合は首から上しか動かせません。
てんかん発作とは
脳内の神経細胞の過剰な電気的興奮に伴って、意識障害やけいれんなどを発作的に起こす慢性的な脳の病気です。
義母の場合は週に1~2回起き、急にけいれんが始まり大抵は1~2分で治まります。
これらの状態を分かりやすく説明すると、寝たきり状態で喉に穴が開いていてカニューレが入っています。
その為に声が出ません。
もちろん口からは食べ物を食べれず腸へ繋がった管、すなわち腸瘻(ちょうろう)からの栄養・水分補給となります。
手足も動かず寝返りも自ら打てません。
だら~んとした感じです。
現在はこんな状態ですが、義母は至って元気です。
しっかりと意識もあり顔の表情は変えられるので、その表情を見て会話をしています。
最後に
誰にでも訪れるであろう介護。
親、伴侶、兄弟など誰でも歳をとれば必要になってくる可能性が出てきます。
若い頃は親も元気だし、自分も遊びに夢中で全くの無縁で微塵たりとも介護のことなど考えたことがありませんでした。
お陰様で僕の親は元気ですが、妻の親はお伝えした通り介護生活を送る人生です。
もし身内に介護が必要になった時に100%携われるかというと、そうでない人の方が殆どだと思います。
人それぞれ生活環境も違いますし自分たちの生活もあります。
介護をするという事は簡単なことではありません。
僕たちは環境や今までの経緯で在宅介護の道を選びました。
そして現在は在宅介護の環境もだいぶ整い、自分たちの時間も少しは持てるぐらいまでになりました。
ここに来るまでには何年もの間、介護世界の色んな現実をみてきました。
これらの経験は、現在介護に携わっている方やこれから関わっていく方の少しでも参考になるのではと思っています。
今現在も在宅介護は現在進行形ですが、僕たちの介護経験を発信し同じような環境の方たちの一助に少しでもなれればと思っています。
義母が脳出血で倒れてから現在に至るまでの流れを小説風に書いています。
覗いてみて下さいね。
全て実話です。